【ネタバレ注意】
君たちはどう生きるかを観て、感じたこととそして受け取ったもの 
過去最長(原稿用紙35枚分)

2023-07-19映画鑑賞後の城ヶ島にて撮影


2023年7月14日、スタジオジブリ、宮崎駿監督の最新作アニメーション映画「君たちはどう生きるか」が公開された。
ジブリ作品、特に宮崎駿作品は幼い頃から繰り返し繰り返し観ており、バカがつくほど大好きな大ファンであり、宮崎駿はクリエイターとしての永遠の憧れ、神様のような存在だ。
この記事には過剰な偏ったオタク的感想・個人的に飛躍した妄想が含まれますので読む人はそれを念頭に置いて読んでもらいたい。
2023年7月19日(水)本日、鑑賞してきた。

今見終わってすぐの感情を書き残しておきたい。

なぜだかわからないが鳥肌が止まらない。

放心状態。

ジブリ芸術の極みを目撃した気がする。

映画館で観れたことに感謝。

全てが美しかった。

世界、キャラクター、動物、自然、建物、何もかも全てが、美しい…

どこまでも観ていたい世界。

宮崎駿のこれが観たかった。

これは本当に宮崎駿、最後の作品になるかもしれない。

そう思った。

随所に今までの作品を思わせるシーンが散りばめられ、宮崎駿、スタジオジブリの集大成であることを至る所で感じ、それと同時に本当に宮崎駿はペンを持つのを終わりにしようとしているのだと感じた。

なぜなら今までの宮崎駿の美学と反していると感じたからだ。
焼き回しに近い演出が多数あった。
もちろん現在の素晴らしい技術によって生まれ変わっているわけでそのどれもに感動する。そのどのシーンもずっと観ていたいと思う。

それと同時に本当に終わらせようとしているのだと強く感じた。

これは自分の分身であり、これまでの全てであるという意志を感じた。

今までと同じことを繰り返し主張するという宮崎駿が新しすぎて逆に今までと全く違う。

セリフの端々からもそれを感じることになる。

宮崎駿がそういう作品を作ったということが衝撃的すぎるし、何より嬉しい、そしてこの作品が最後になると考えると寂しい。

そんなこと言いつつも俺は結局作りたくなっちゃうんだけどなって感じの終わり方も微笑ましいのだ。

言いたいことは山ほどあるが宮崎駿が82歳でこれをつくっているということが奇跡だし果てしない才能である。改めてこんな当然なことを言うのは浅はか極まりないが、どう考えても82歳でこの作品を到底考えつき作り切れるはずがないのだ。

とにもかくにも感謝、感謝、感謝。

ありがとう、スタジオジブリ。

宮崎さん、ありがとう。

何かを受け取った気がします。いや、受け取らなければ、生きなければ、そうでなければ命を削って作り続けてくれている人たちに申し訳が立たない。

ここまでは映画館で感じたことをその場で書き綴った内容です。走り書きなのでおかしいところがあったらすみません。間違ってるところもあると思います。
ではここからは作品の内容について具体的に触れていこうと思うので知りたくない人はブラウザバッグ推奨です。
まず、今回の”君たちはどう生きるか”ですが、スタジオジブリが長年取ってきた製作委員会方式を取らず自社単独出資での制作という異例中の異例。
宮崎駿が本当の意味で自分の好きなようにつくれるのではないかと我々宮崎駿作品ファンの期待は高まっていたのです。
そしてそれに加えて前代未聞の宣伝広告一切なしというやり方。
広告費を抑えるためとも言われているが広告がないことがもはや広告であるという恐ろしい前例をやってのけた。
唯一わかっているのは謎の鳥っぽいキャラクターのイラストのみ。それ以外は本編に関する情報が全くない。

ここまで徹底されるとこちらもネタバレ喰らわずにゼロの状態で見たくなると言うもの。
そのため初めてTwitterのミュートキーワードを設定、最終的に21単語をNGに指定した。

特に主題歌はサブスクのランキング等で上がってきてきまったりして気づいてしまうと思い、そういった情報もなるべく遮断して5日間過ごした。

正直Twitter以外のところから少しは漏れてくるだろうと思ったがなんとか公開から5日後の私が初めて観る時まで完璧に死守できた。
そしてついに7/19(水)朝一の上映で満を持して観てきた。なんて幸せなことだろう。
映画館の一番後ろの真ん中の席に座る。

さまざまな映画の予告編が次々と流れそしてやがて暗くなる。
いよいよ始まる。

東宝の文字、そして…

スタジオジブリの青背景トトロの絵がスクリーンに出てきたところで、ああ、この時代に生きてて良かったー感謝感激、と感極まった笑
冒頭の火事のシーン、一気に引き込まれる。
ハウルと風立ちぬを混ぜたような圧倒的に引き込まれる、人が人の形をせず炎がほとばしる演出、そして禍々しさと恐怖。他では観たことのないジブリならではのアニメーション。

階段を駆け上がるシーンはいきなりザ・ジブリ。
千と千尋の疾走感溢れるシーンを彷彿とさせる。そして階段を両手両足であがる描写はどこかカオナシやハウルの影の軍人を思い出させた。千尋の動きにも似ている。

眞人は一度寝巻きで駆け出すが戻ってきてきちんと着替えてまた出直す姿にはジブリ主人公らしい真っ直ぐさと凛々しさを感じさせる。いま思えば母親を失ってからの迷いや不純との対比だったのかなと思う。

火事の街の中で黒い影の中を進むと言う設定の時点でかなりハウルっぽさがあり、それと同時に時代背景から風立ちぬの地震描写も過ぎった。
とにかくアニメーションがやばいったらなんの。ジブリがここまできてこんな新しい表現をできるのはさすがと言うか衰えを全く感じさせない衝撃を受けた。

そこからさらっと1年後。モブキャラの線の緩い描き方、主要キャラはくっきりジブリ顔で描かれている表現手法も新しく、おーなるほどーとここでも感心。
今思えばただでさえ難解なストーリーであるため、ストーリーと絡んでくるキャラクターを分かりやすくしてくれた制作側の配慮だと伺える。

さて、眞人と夏子さんの対面シーンだが、ここもさすがジブリ。何も言葉にしなくとも人物の複雑な心理が行動の端々に表現されている。感無量。幸せだ。

個人的な話になるが人物の心理描写が下手なアニメーション映画は嫌いだ。わざわざここでは名指ししないがそれが下手すぎるのになぜだか評価されている理解に苦しむ監督がいたりします。
シンエヴァで一番衝撃を受けた好きなシーンはサクラの心理描写です。分かる人には言わんとしていることはわかると思います。
ま、そんなことは置いといて、宮崎アニメーションではそんなことは一切心配する必要はない。それが健在であることをこのシーンで確認でき、一安心。むしろさらに先に進んでいるのでは?

そしてこのシーンで父親の声が木村拓哉氏であることに気がつく。ジブリ映画で一番好きな声優は実はハウルのキムタクなのです。これは嬉しい限り。風立ちぬの庵野氏も好きですけどね。
エンドクレジットには特別出演みたいな感じで書いてありましたね。なんでなんだろう?

お屋敷の上から下までパンで映されるんですが美しさがやばい。ジブリの背景すっごい。やっぱすっごい。芸術です。

とにかくここまで私、大満足で進んでおります。

屋敷に上がるシーン、夏子さんは下駄の土を落としてから上がる。それに対して眞人脱いだ靴をそのまま持って上がる。
これは下駄の扱い方の風習なのか無知なので知りませんが、眞人の新しい屋敷に対してどこか気がそわそわしている心境を表しているのかなと思いました。そこまで気が回らない的な。まぁこれは違う気がします。

で、この後の青鷺が屋根の下に飛び込んでくるシーン。えぐいて。なんじゃそりゃ。いきなりすごかったぞ…

のぞき屋の青鷺よ、みたいな説明を夏子さんがしてくれるわけですがそれもなんか意味深というか…なんか不気味さを感じます。

ここで安心し切りました。ああ、今回はファンタジーをやってくれるんだなと。
リアル寄りの風立ちぬも大好きですけど、ハウルのような異世界感溢れる冒険ファンタジーが一番大好物なので。
はい、ここです。次から次へと出てくる絵がやばい。
お手伝いさん?のおばあちゃんたち。
ここの描き方です。
初見、なんだか奇妙で人間ではない感じで描かれてましたよね。あの気持ち悪さこそが眞人から観たこの屋敷や状況に対する嫌悪感が現れたものなのかなと思います。

おばあちゃんたちずっとこの描き方するのかな、なんか気持ち悪くて受け付けないな、と不安になっていたら、眞人と夏子さんが部屋からいなくなった瞬間に別人のように人間らしく話し始めます。びっくり。初めは夏子の前だけ腰低く分かりやすくマヌケを演じているってことかと思ってましたが、今思えばあれはそれもありつつも眞人がいなくなったことで眞人目線の見え方が消えたという意味合いもあるのかなと思ってます。
なんにせよそこまでやるか?って描き方が細かいのなんのって。異次元レベル。

ここまでまだ冒頭10分ぐらいですか?
この記事くっそ長くなるな…笑

眞人の母親への想いと苦悩が描かれます。
そして塔へと導かれる。
冒険の予感にワクワクと不安。あ、これは自分の感情です。

眞人がいなくなったことに気がつき、探しにきた夏子さんとおばあちゃんたち。
「眞人さーーーん」夏子さんの呼ぶ声が気味悪く聞こえる。
そして眞人はガン無視で塔へ。ああ、そこまで嫌いなのか。とここでしっかり認識できました。
なかなか塔に入れず、おばあちゃんたちが来て諦めて出ていく眞人。そしてすぐに塔のことを尋ねる。
ここは意外でした。おばあちゃんたちにはそれほど拒絶的ではなかったからです。
そしてその夜、夏子さんから真相を聞く。それも超意外でした。
ここで夏子さんは本当に眞人とはうまくやっていきたいという本心があると理解。もしくは大嘘ついてるかちょっと心配でしたけど…


眞人、空気読めない親父に車に乗せられ学校に行きます。
馴染めず帰り道で取っ組み合いになる。そして自分でこめかみに石を殴りつけ大量出血。
ああ、コペルくん(原作君たちはどう生きるかの主人公)的展開きちゃった。
学校に行きたくない口実かと思ったけど、そんな緩いものじゃなく誰にも理解されない居場所のない現状に嫌気がさしたのかなと。
誰かにやられたとはいいはしないものの、自分でやったとは言わず、結果的に嘘をつきます。完全にコペルくんですよね
青鷺に対面。さまざまな動物たちが眞人に集まってくる。ここの演出・アニメーションもすごかったですね。集合体的な恐怖も相まって。
ここで飛んでくる夏子さんの破魔矢。
あ、これで夏子が本当に味方なんだ、青鷺が悪い奴らね。と再確認。流石に悪者は破魔矢射れないと思うので。

とんでもない入り方で塔に帰っていく青鷺。
さぁ面白くなってきたぞー。
頼むから冒険ファンタジーしておくれ〜。

夏子つわりで寝込む。
本当か?呪いでは?魔除けで生きる力を消費した的な?
そんなこんなでようやくお見舞いに行く眞人。でもあくまで自分の目的のために行っただけでした。青鷺仕留めたくて。

青鷺仕留めるために色々試行錯誤、夏子が森に消えていくのを見るもスルー。本当に嫌いなんだな…
試行錯誤して弓矢を作る過程でお母さんの久子が自分宛に残した「君たちはどう生きるか」の本を見つける。
ここで読むんですねー。自分と同じ過ちを犯すコペルくんに共感し、過ちに気づいたコペルくんと同様に自分もまっすぐ生きねば、お母さんがそう生きろと残してくれた本なんだ、そう決心したんだと思います。
一気に眞人が変わります。
夏子を助けにいく。ついに始まったーーー!
おばあちゃんキリコと共に塔へ。おばあちゃんたちの中でも一人だけ異質な感じで描かれていたのはこのためかー。
ハウル感全開の照明に灯された廊下、うぅーーたまらねぇ。
ホールでお母さんの水人形のようなものを見せられる眞人。なんとも気持ち悪い。てか今回ホラーすぎない?うちの3歳の子供には見せられないなと思った。

そして青鷺と対決。うっひょー、想像以上に冒険ファンタジー見れる予感。風切りの7番?ってなに???笑
とりあえず弱点押さえて勝ちました。
青鷺が憎めない悪役パターンなのが理解できてなんか安心。もっととんでもなく恐ろしいものかと思って怖かったー。

で、突如落ちてくる薔薇が砕け散る。
んー?夏子がやばいってこと?その時はそう思いました。
あの屋敷の上の方にご主人がいて、薔薇が散るっているので思い浮かぶのはディズニーオタクとしては完全に美女と野獣なのよ。それを考えるとあの薔薇に関して登場人物が誰も触れてなかったので、大叔父さんはもう助からない、そして塔の中の世界が崩壊しかけているという暗示でもあったのかなぁと。

で、大叔父さんの指示で青鷺が案内役として下の世界へしゅっぱーつ。
えっぐいファンタジー世界きたーーーー!!!!しかも宮崎駿が今まで描かなかったタイプの地獄の門どストレートみたいなの出てきたーーーー!!!!
なんじゃそりゃ。
千と千尋の時からミギハヤミとかで宮崎駿は神話に相当精通しているのは分かっていたので、ギリシャ神話とかそれ系なのかなぁとか思いつつ、なんか若干世界観がゲド戦記っぽくない?って思いながら見てました。絶対ブチギレられる。
石の積み方が完全に日本の神様祀ってる感じなのに、なぜか悪魔的な感じ。
なんか強そうな女の人きたーージブリーーー!!!
で、なんか魔除けみたいなの使って守ってくれて。あの炎で結界作ってやり過ごすのってすごい既視感あったんですけどハウルでしたっけ?それ以外だとドラえもん?あ、千と千尋のハクが千尋に息を止めてっていうところかな?なんかよくわからないけど凄くいい。このシーン神秘的で好き。
しかもいまなんかアシタカみたいなこと言わなかった?ソナタは人間か?的な?
え、しかも振り返ったらダメって?
えー、セルフオマージュなの?もののけ姫じゃーん。千と千尋じゃーーん。

ここでようやく今作が今までの作品の要素に溢れていることに気がつく。そしてそれが無意識にそうなってしまっているのではなく、完全に意図してわざとそうしていることを確信する。なんだこれ前代未聞の作品になるぞ。


で、この人、まさかのキリコさん。うっひょー、そういう展開ねーーー!おっもしろーーー!!!!

船で移動。大きな波を乗り越える。なんかモアナだよー?モアナはそもそも個人的にもののけ姫のオマージュだと思っているのですが、まさか宮崎駿なりのディズニーへのアンサーか?俺ならこう描くぞって?いや、まさかな。考えすぎか。

彷徨う船たちが完全に紅の豚である。
そしてパイレーツカリビアンの終わりの世界っぽさもある。

巨大な魚捕まえて、なんか捌いてみんなにあげると。包丁持つシーン、サーーーーン!!!
てか急に出てきたわらわらとかいうのクッソ可愛いんだが笑
こだまっぽさもありつつも割とジブリらしからぬ造形。意外。
めっちゃ生々しい内臓が飛び出してきたところでこれがわらわらが飛ぶのにいい滋養になる的なことを言ってた。え、わらわらこれ食うの?食う時絶対怪物みたいな顔になるやん笑
そしてキリコの家へ。え、なんか巨大な船の甲板なの?すごい世界観だな。ノアの方舟?

てか動かしたらダメなおばあちゃんの人形、絶対動かしそう…
テーブルに頭ぶつけるのパズー?
カレーうまっそーーー!
パンにバターたまらん。(ここのパンが実はヒミの作ったパンだったのね)カレーなのにパン食べてる違和感があったので印象的。
トイレが外にある厠タイプ。急に日本笑
そりゃ操舵室にはないか。

ここからのシーン。ちょっと泣いちゃった。
わらわらたちが上の世界で生まれるために飛んでいく。生まれ変わるのか。わらわらがどう生まれるのかは分からないけど死の世界から生を受けて上の世界へいく、そして死んだものはこの世界に来る。輪廻転生。DNAの二重螺旋構造みたいになりながら登っていく。そして全員が生まれるわけではない。ペリカンにたくさん食べられる。生き残ったものだけが生まれることができる。生命の神秘。
生まれるっていうことの尊さ、生きているだけでも選ばれしものなんだ。だから生きろ。というメッセージを感じた。

ヒミ様登場。ああ、ジブリで一番好きなタイプの藍色の髪。ハウルの藍色の髪色がめっちゃ好きでたまらなかったんですが、それが風立ちぬの菜穂子さんの髪色でまた使われてて、やっぱこの髪色すっごい綺麗だなと思ってた。そして今回のヒミで再認識。私もこの髪色にしたい(絶対おかしい)

で、花火で攻撃するのなんかカルシファーみを感じるんだけどなんでだろう。ハウルとカルちゃんの契約シーンの星が落ちて走ってるところかな?なんか分からないけど既視感はある。めっちゃ好き。
そして、眞人、床についておばあちゃんの人形を案の定触ってしまう。本人は気づいてない程度だろうけど。
それで物音がして外に出ると花火攻撃でやられたペリカンが。無理矢理この世界に連れてこられたこと、生きるためにわらわらを食べるしかないこと、自然の摂理を目の当たりにする。
ペリカンを埋葬することにする。え、甲板なのに土なの?掘れるの?土が甲板の上に堆積したってことかな。操舵室の高さと地面がほぼ同じ高さだからそうっぽいな。埋葬。

はい、翌日、謎の鳥王国に行くわけですが、完全に猫の恩返し笑
好きだわ〜、このなんとも言えない和む顔して平気で殺しにくるシュールさ。これも何か思い出せないけど既視感ある。なんだっけな。可愛い顔して平気で殺すみたいな。手塚治虫の漫画かな?あ、あれだ絶対宮崎駿は見てないと思うけど「人類は衰退しました」だ。あれのハム太郎声優が演じた食パンが血(野菜ジュース?)を噴き出しながら自分をちぎるシーンくそ好きなんですよね笑

で、青鷺と仲良くなって協力するの微笑ましいね。
そして眞人食われる絶体絶命のシーンでヒミがかまどから登場!この竈門完全にハウルのお城の中のカルシファーのやつやーーーん。で、この炎の中から現れる感じソフィじゃーーーん!
炎の中に消える眞人。おいおい楽しすぎでしょ。

で、ライナーベルトルト並にさらっと正体のわかるヒミ。まさかのおかさあん!?
まぁそんな気もしてたけど。なんか幸せなシーンだなあ。
2人で産屋に行く。
夏子が完全に祀られてるというか呪いかけられてるというか、呪縛っぽいですよね。
千と千尋の式神みたいな紙が美しくくるくる回転してる。禍々しさもありつつもすっごい美しい。日本的。天照大神っぽさ。

眞人への本心を曝け出す夏子。すげぇ、表情の描写。空間の均衡が崩れたように吹き飛ぶ紙。眞人に襲い掛かる描写がえぐい。湯婆婆のきぃさぁまぁあああみたいな。夏子の怒りではなく奥の祠にいるであろう悪魔的何かの怒りが爆発。世界が怒っていると感覚的にわかるこの描写はまじで天才的。なぜそう感じさせることができるのか謎である。

で、例の一番初めの墓と同じ石の積み方の祠が奥にあったのはなんなんだろうか。塔の下にあるっていう長いトンネルの中を悪魔が行き来していて、それの出入り口が石の祠になってるとか?これもかなり謎である。特に塔の下のトンネルの設定がこれぐらいしか存在意義が見出せなんだけど他なんかありますかね?神話関係かなぁ…

眞人の改心した本音を聞いて心変わりする夏子。今度は夏子も式神が取り込んでいく。
すごいよここ。

外に弾き飛ばされた眞人を受け止めるヒミ。
愛だねぇ。そして妹も助ける。
眞人は意識の中で大叔父に対面。1度目の対話を果たす。この世界のことわりを知る。
宇宙から飛来した隕石が原因であることがわかる。そして、おそらくその原型であろう石が大叔父の頭上に神々しく浮遊している。これをひと目見た時、形状からしてオウムアムアか?と思った。もしかしたらモデルがオウムアムアかもしれない。”オウム(王蟲)”だしね。オウムアムアはハワイ語で”使者”つまり使徒、つまりは天の使いである。
2017年に観測された未だ正体不明の謎の天体で、地球に接近した後、通過し、その後速度を急速に上げて太陽系から去った。都市伝説界隈では宇宙船なのではないかとも言われている。諸説あり。
もしこれに似た謎の小隕石が大昔にあの地に落下し、それが意志を持つ岩だったら…そんなところだろうか。妄想です。
なんにせよ美しい造形の石でしたね。

眞人に後を継いで欲しい、と大叔父。夏子をさらった理由も同じだった。後継者が必要。
眞人、自分は心が穢れている、それと同じ石を積むことはできない。ここは少し吾郎さんの存在を感じたがそこまで認めているとは思えないので謎。
そこまで到達していることを確認する大叔父はさらに誘ってくる。その素質があるのだろう。
世界は13個の石の積み木でできている。
それに一つ追加することで眞人はその継承者となり、世界を作り変えることができる。

関係ないけどモアナでは村の長になるときに村の一番高い山の上にある石積みに新しい長がひとつ石を積む。そうすることでその島の標高は石一つ分高くなる。そんな設定を思い出した。

これは見ている時は気づかなかったんですが、これまでの宮崎駿作品は13個らしい。それで積み木が13だという説が噂されている。なるほどなぁ。13って色々ある数字だからてっきり神話関係から取ったと思ってました。まぁその設定だと綺麗だよね。

そこには気づいていなかったけど、スタジオジブリとして作品を作り続けるのがこれが最後であり、それを誰かに継承して欲しいという気持ちがあるのかなぁと思いながら見ていました。

で、鳥の王様が塔を登っていく。猫の恩返しーーー笑
そして、光の回廊みたいな虹色の三角形の通路ですが、ここでも思い出す存在が。これはさすがにオマージュではないと思うのですが、ただ私が思い出しただけです。
それはスターウォーズのジェダイ聖堂。スターウォーズもディズニーですがそれが出てくるのが「反乱者たち」というアニメ作品なのです。流石に宮崎駿が反乱者たちまで見ているとは思えない。あるとしたら原作を読んでいるパターン。いやぁあり得るか?そもそもこのスターウォーズの元ネタ自体がどこかの神話や童話などにあるのだろう。
クローンウォーズと反乱者たちを最後まで見た人は分かると思うのですが、​​​​​​​
この先、クローンウォーズ&反乱者たちネタバレ注意!!!
見たくない人は次の写真まで高速スクロールしてください。













記憶が曖昧なのですがたしかジェダイ聖堂の奥深くに狭間の空間?と呼ばれる場所があってそこでは時空を超えてあらゆる場所と時間に干渉できるのです。アナキンの愛弟子であるアソーカタノは一度死にかけるのですが、実はエズラがその空間からアソーカが死ぬ瞬間に干渉し、アソーカが生きる未来に書き換えてしまいます。ちなみにエズラとアソーカがスターウォーズの登場人物の中で一番好きな2人です。超面白いよねクローンウォーズと反乱者たち。
で、そこの入り口にめっちゃそっくり、だった気がする。違ったかなぁ。
世界の中枢に入っていくという観点で設定的にはかなり似てます。世界を作り変えることができる世界の中枢的空間への入り口。
シンエヴァでいうところのゴルゴダオブジェクト的な?
まぁ神話にそういう場所があるんでしょうね。


















ネタバレ回避で飛んだ人おかえりなさい。
で、鳥の王様が大叔父様のところに行くシーンめっちゃいいよね。全てが最高です。マジで。
鳥さんたちが天国か?みたいなこと言うのも良いよね笑
マジで天国並みに美しい世界が広がってた。
ヒミを返してもらって一安心。
どうやら鳥達も生きるために必死なだけで悪い奴らではないようです。

鳥達を無理矢理連れてきたのが大叔父なのか、それとも石なのか。
鳥さんも可哀想になってきた。

ヒミと大叔父のところに向かう眞人と青鷺。いいコンビですねー。鈴木敏夫と宮崎駿に見えてきたけど、過去のインタビューによるとそうらしいですね。微笑ましい。
世界の崩壊がはじまりかけたところに到着。
後継者になれと再度誘われるが断る。
ここって高畑勲が宮崎駿へ、宮崎駿が吾郎や他の誰かへ、そうやって受け継がれる意志を表現してるのかなって見てました。

でも眞人の答えは、断る。
自分が世界の王になり世界をつくることよりも、ただ荒れ果て穢れた現実世界の住人の1人として泥臭く必死に生きる道を過酷な道を選ぶ。

「もうつくるのは辞める。俺はもうつくらないぞ。
そして、それを誰かに継がせるということももうしない。
俺はこれまでこうやって生きてきた。いろんな作品を作ってきた。これが俺の生き方だ。
でももうそれを他の誰かに強いることはしないし、自分もつくることを辞める。
さぁ、君たちはどう生きるか」

そういう意味に感じました。
だからこそ今作では過去作の自分の最も思いを込めたシーンやセリフ、設定を数多く取り入れ、自分の生きた証としたのではないでしょうか。
眞人とヒミ、まるでバルス。
そして世界が崩壊していく…
オムウアムア的全ての元凶の石の崩壊。
ここの世界の描き方の美しさよ…
モーゼの十戒のように割れる海、崩れ落ちていく世界…
ハウルでもソフィが少年時代のハウルに会いに行き、泣きながら崩壊する世界の中で走るシーンがものすごく好きなのですが、それを彷彿とさせる。なんならラピュタ的でもある。全てが美しい。ありがとう宮崎駿。

そしてラストシーン。
もう涙が堪えきれない。
ヒミが自分の世界に戻ることに対し、眞人はヒミは戻ったら病気になり火事で死んでしまうと告げる。

それに対しヒミは
「火は好きだ、それにお前を産めるなら素晴らしい人生じゃないか!」
正確なセリフは忘れてしまったのですがそんなニュアンスの言葉をジブリヒロインらしい最高の天真爛漫な元気な笑顔で眞人に叫ぶ。

眞人を完全肯定して自分のことも完全肯定するこのセリフの重み!!!!
うおおおおおおお、涙……
生まれるということ、生きるということ、その尊さ、素晴らしさ、そしてジブリらしい抱擁シーン。涙涙…
書いてる今もまた泣いてしまった…
母である久子が失踪した1年間はここでの出来事を体験していたのですね。

そしてそれぞれがいるべき世界に戻っていく……
ぶわぁあああああっと飛び出していくカラフルな鳥達。そしてペリカン達。
良かったぁ。
ギリギリハッピーエンドだ。
良かった。鳥の王様も間に合った。
大叔父様も彼なりに最後まで全うしたんだろう…

そして…
心の中で喋りかけてくる青鷺。
なぜあの世界のことを覚えていると眞人に問う。
そう、眞人は有象無象の石の中からひとつだけ拾って持ってきていたのだ。

それの意味を考えてみた。

宮崎駿はあの自分が作り上げた世界の王を継がなかった眞人を通じて俺はもう作品は作らないと意思表明したはずだ。
しかし、しかしながら、そこの作品にすらならなかったガラクタの山の中からそのカケラのひとつを拾ってきてしまった。つまり、俺はまたつくるだろう、と。
引退詐欺とよく言われるが、毎度引退引退何度言ってもやっぱり作りたくなってしまう自分をもう認めたのだと思う。

もう作らない。今度こそ絶対作らない。こんなセルフオマージュだらけのいかにも遺作らしい作品を作ったからにはもう作らないぞ。
でも俺はまたつくってしまう。それでもほんの小さなかけらから作りたくなってしまう。きっと死ぬまで。

これはオマケの夜の柿沼さんの考察だが、眞人が君たちはどう生きるかの本を読むシーンでジャン=フランソワ・ミレーの「種をまく人」という絵が出てくる。それが宮崎が吉野源三郎によってまかれた種を受け取った、今度は誰かのそういう作品になれるようにという宮崎の意思ではないかと言っていた。すごく腑に落ちる。

個人的には「種をまく人」で藤子F不二雄先生のねじまき都市冒険記を思い出した。この作品は藤子F先生の遺作であり、その執筆中に亡くなったそうで、藤子F先生は最後の最後の死ぬ瞬間までつくり続けた偉大な方です。もしかしたら宮崎駿は自分もそういう生き方になりそうだということを暗示しているのかもしれない。
で、ラストシーンの青鷺との会話に戻りますが、
鈴木敏夫に「そんな石ころ持ってきちゃって!まぁいいか、どうせそんなのすぐ忘れちまうさ。」と言われても、生涯クリエイターの宮崎駿はその小さな石ころからまた作品を作ってしまうのだろう。いやむしろ鈴木プロデューサーは作らせたい側か笑
青鷺の言葉にもそんな含みが持たせてあるのかもしれない。


これからの宮さんの生き方も楽しみだ。


”この道が続くのは 続けと願ったから
また出会う夢を見る いつまでも
一欠片握り込んだ 秘密忘れないように
最後まで思い馳せる 地球儀を回すように”
   ———米津玄師 ”地球儀”より———

さてここで今作の主題歌についてお話ししたい。
ここからはさらに私的な内容になると思う。

今作の主題歌を歌うのは誰なのか。今回もまたユーミンなのか。ここまで気合いの入った覚悟の作品ならば、相当な思い入れのあるアーティストを採用しているはずだ。そう思いながら迎えたエンディング。

なんと、今時代を駆け抜ける米津玄師さん。
上のようなことを考えていたので正直若干の戸惑いもありながら長年の米津玄師ライトファンとして衝撃を受けた。
宮崎駿が選んだのであれば間違い無いのだ。
そして繰り返し聴いている今、本当にふさわしい、そう強く思っている。
米津玄師の音楽と私の出会いは時は遡り2010年8月19日ニコニコ動画にアップされた楽曲「マトリョシカ」である。
つまり13年前、私はまだ16歳で高校2年生。米津氏自身も19歳。
そこから当時「ハチ」名義で活動していた彼の数多くの音楽たちに魅了されていく。
2013年本名米津玄師名義でメジャーデビュー。
2015年にはNikonD5500のCMソングに起用されている。Nikonさん!先見の明、流石です!!!笑
恥ずかしながらこの頃の活動を私は知りません。
たしか高校時代から共に音楽を聴いている友人から米津玄師名義で活動していることを聞き、存在を知った記憶があります。
その後2016年の中田ヤスタカとのNANIMONOで米津氏の存在をあらためて強く認識。そこから過去のアルバムも遡ってかなり聴き漁りハマります。
そこからは皆さんもよくご存知のLemonやFlamingo、そしてパプリカなど、ヒットを連発する国民的アーティストへと駆け上がっていきます。
そして今、宮崎作品の大トリになる可能性のあるアニメーション映画の主題歌を歌い上げている。
なんとも感慨深い…
なぜ宮崎駿は米津玄師を起用したのか。そもそもどこで知ったのか。
そう考えた時まず初めに思い浮かんだのはやはりパプリカです。パプリカは日本の伝統的なヨナ抜き音階が使用されています。現代的でありながらどこか懐かしさのあるメロディ。だからこそここまで多くの国民に受け入れられる楽曲になったと思っています。そこに宮崎さんも何か感じるものがあったのでは無いでしょうか。

関係ない話ですがパプリカの後にNHKが流行らせようとしたYOASOBIのツバメもかなり日本的な曲に仕上がっています。童謡や民謡好きな私にはたまらない。

話を戻して、米津氏のツイートによると今回の起用のきっかけは予想通りパプリカの存在だったようです。

それで今作主題歌の地球儀ですがこちらにも民謡要素がある。
イントロから印象的なバグパイプである。バグパイプはスコットランドの伝統的な民族楽器です。個人的に大好きな音色の一つ。
ただでさえ良い曲なのですがこれが鳴っていることで永遠に聴いていられます。
スコットランド民謡といえば「蛍の光」です。そう実は蛍の光はスコットランドから伝わった曲なのです。
日本民謡にも通ずるところがありますよね。
そういう意味でバグパイプの音色というのは日本人のDNAの奥底に訴えかけてくるものがある音色だといえます。

米津さんの歌声で聴いているので現代的に感じますが、曲自体もノスタルジックで懐かしさを感じさせる名曲となっています。ぜひピアノバージョンとかも聴いてみたいですね。
ちなみに私は映画を見終わってから永遠にループして聴いています。
良い曲ですね…
では、なぜ宮崎駿は米津玄師を起用したのか。
それは若い世代にこの映画を観てもらいたい。そういう狙いなのではないかと思います。
声優に菅田将暉やあいみょんがいること、何より主人公眞人が現在18歳の山時聡真さんであること。
その辺りからもそういう考えが伝わってきます。

何かのインタビューで宮崎監督は孫に見せたいと答えているらしいです。
おそらく自分が少年時代に「君たちはどう生きるか」から受けた影響を今の子供達にも与えたいと思っているのではないでしょうか。
長々と書いてきてもう誰も読んでないと思うのですが、最後に一番大事なことを書き残さなければなりません。
それはこの作品を受けて「私はどう生きるか」という答え。​​​​​​​

色々と悩み続けて生きているわけですが、いくつか明確に分かっていることがあります。
それは「何かをつくりだすことが大好きであること」
今現在建築写真を撮って生活しているわけですがこれも一つのクリエイション。
でももっと自分自身から溢れ出るようなクリエイティブがしたい。
それはおそらく写真じゃない。
写真も大好きなので仕事として、趣味としてずっと続けていきます。
でもそれと同時に他の創作もしたい。
そのために今できる目の前のことに必死に取り組む。
若き日の宮崎駿がそうしていたように。売れなくても、売れなくても、足掻いて足掻いて足掻き続けた宮崎駿。そうして掴んだ栄光。
そこまでの成功者には誰もなれません。
それでも少しでも創ること、そしてそれを次の時代に残し、誰か一人、自分の子供にだけでも良い影響を与えられるような、そんな人生をこれから生きねば。生きねば。

2023年7月20日(木)20代最後の夏、ここに記す。
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